とあるモーテルのはなし

「今朝掃除のおばちゃんがお腹痛い言うて帰ったから、今日はこの部屋あけられへんねん、すまんなぁ」

想像の斜め上をいくセリフに、固まってしまった。

数年前、とあるモーテルに行った時のことだった。
国道から見えるシブい看板に惹かれて行ったそのラブホテルは、老舗の雰囲気を醸し出している。なんとなく、何かありそうだと期待に胸ふくらませて車を走らせる。

そのあたりでは比較的珍しい部類の「コテージ型」だった。敷地内には、たくさんのコテージが並んでいる。一般的にモーテルと呼ばれるものは、ひとつの大きな建物の中に横並びに部屋と駐車場が並ぶ。コテージ型も、大きな括りで見ればモーテル型だ。しかし、かなりの規模の敷地が必要になるため、モーテル型の中でも希少種と言える。

それにしても、どこも入室中だ。ガレージに車が入っていたり、車はなくとも「使用中」の立て看板がガレージのど真ん中に鎮座する。お世辞にも、人通りの多いところではない。もちろんラブホテルなのだから、人通りの少ない場所がよい場合もあるが……。
広い敷地をぐるぐるまわって、9割が入室している状況。こんなことは、珍しい。この選択肢が非常に少ない状況で、どこに入るかはとても悩ましい。もう一周するか、と思ったとき、目の前におじさんが現れた。見た感じ、スタッフの方だった。

車を停めて、お声かけさせていただいた。事情を説明すると、とある部屋に円形ベッドがあることを教えてくださった。

「昔は回転してたんやけどなぁ、一回シーツ巻き込んでしもて、壊れたからそっからは止めてるねん」

「今は回転してなくても、それが残っているなら是非そのお部屋に入りたいのですが」

そう言うと、あの部屋や、とおじさんはひとつのコテージを指さした。目をやると、ガレージには使用中の看板が立っている。でも、車は停まっていなかった。

「そやけどな、今朝掃除のおばちゃんがお腹痛い言うて帰ったから、今日はこの部屋あけられへんねん、すまんなぁ。他の部屋は普通やから、またおばちゃんおる時に来てよ」
おじさんは苦笑いしながら、そう言った。その日は、また来ますとお伝えして、泣く泣く帰路についたのだった。

 

それから少しして、今日はどうかとふと思い立って、また、あのモーテルへ車を走らせた。
国道からは、あのコテージ群がチラチラと見える。

今日は、あの部屋に入れると良いな、どんなベッドなんだろう。バスルームはどんな感じなんだろう。いつも、部屋に訪れる直前はドキドキワクワクする。細い道をずんずんと進んで、モーテルのエントランスが見えてきた。

「あの部屋、空いてますように!」
パンッ!と顔の前で手を合わせてみる。

しかし、祈る私を待っていたのは、おじさんが教えてくれた円形ベッドではなく、行く手を阻む細くて頼りないロープだった。
エントランスのど真ん中には「満室御礼」の立て看板が寂しく佇んでいた。
車を降りて駆け寄ってみる。ロープのすぐ手前からモーテルの中を覗いてみたが、フロントには人の気配はない。それどころかアスファルトの割れ目からは草がぽつぽつと伸びていて、あたりは少し、緑が増えているような気もする。

また改めて、もう一度訪れたら、おじさんはこう言ってくれたりしないだろうか。

「こないだまで、おばちゃんもおっちゃんもお腹痛くて休んでたんや、すまんなぁ。今はやってるから、まぁ入りぃや。」

バックミラーに映った遠のいていくモーテルを見ながら、そんなありえない想像をしてみる。
諦めの悪い私は、またここへ来るかもしれないと思いながら。